知らない人から「財布をなくしたのでお金を貸して欲しい」と頼まれたときのこと

金曜日の夕方に、週末に使うお金をおろすため、阪急烏丸駅近くの郵便局に向かいました。確か財布には2000円ほど入っていて、さすがに土日は心もとないなと思っていたからです。郵便局は大通りから一本脇道に入ったところにあって、僕は歩いて向かいました。すると郵便局の目の前で、おばあさんに話しかけられました。おばあさんと言っても、歳は60歳くらいで、それなりにしっかりした服装、白髪まじりでしたが、外見はいたって普通です。マスクをつけておられたので、顔全体を把握できませんでした。


僕はインナーフォンで音楽を聞いていて、おばあさんの話が全く聞き取れず、急いでイヤホンを外してもう一度話してもらうことに。


「すみません。聞き取れなかったのでもう一度話していただけますか。」
「財布をなくしてしまったので、帰りの電車賃をかしていただけませんか。」


このとき、「よりにもよって自分か……」と思ってしまったことは事実ですが、もう少し詳しく聞いてからお金をかすか、否か決めることにしました。


「警察には行かれましたか。」
「はい。警察はこういうことはよくあると言って受け付けてくれませんでした。京都駅からJRで帰るよりも、阪急線を使った方が安いと聞きました。」


なるほど、確かにJRは高くて、私鉄の阪急電車は安いのです。僕は、この方が烏丸駅から500円以内で帰れる距離に住んでいるのだろうと思い、お金をかす気持ちが強くなりました。というのも、僕も過去に財布をなくしたことがあり、大変困った経験をしているからです。しかし、「警察はひどい対応だな。本当に受け付けてくれないのだろうか」とも思いました。近くには大きな警察署があって、小さな交番ではないのだから、この対応はあまりに残酷だし、ひょっとするとおばあさんは警察に行っていないのでは、と疑いの心も出てきます。


「自宅の最寄り駅はどちらでしょうか。」
「〜です。」


あれ、聞き取れなかったぞ。「〜」の部分が頭に入りませんでした。「〜」の部分は知らない駅だったからだと、後に気付くことになります。


「え、それはどの辺りですか。」
「姫路です。」


僕は本当にびっくりし、お金をかすことに対して億劫になってしまいました。京都から姫路までは電車で1時間半もかかるからです。これはJRで乗り換えなしの場合で、烏丸から阪急で行くとすると乗り換えも必要で、所要時間は約2時間。もちろん、料金もそれなりです。


「……姫路ですか。それは2000円くらいかかりますよね。」
「はい。1800円です。」


淡々とした応えがかえってきました。僕の財布の中には2000円ほどしか入っていません。知らない人に2000円近くをかすのはさすがに厳しいなと思い、かすとは言っても、それは返ってこないお金になる可能性が高いです。もしもかすのであれば、何か証明となるものを見せていただく必要があります。僕が渋っていると(おそらく非常に困った表情になっていた)、おばあさんは「いいです。」と行って大通りの方へ向かってしまいました。詳しい話をしようと急いでお金をおろして戻ったときには、姿が見えません。結果的におばあさんには何もすることなく、疑いと後悔の気持ちだけが残りました。


自分の対応は適切だったのか

今回対応するにあたって、確認すべきだった点は、

  • 名前や電話番号
  • 携帯電話を所持しているか

話を進める上で名前や電話番号を聞くべきだったと思います。財布と共に身分証明書を紛失したとしても、教えてもらえば多少はこちらも安心して相談に乗れたはず。


また携帯電話を所持されているのであれば、電車代をかしたとしても、後日連絡をとって、返金してもらえたかもしれません。


おばあさんを疑ってしまった気持ちはどこからきたのか

下記の3つの理由がありました。

  • 姫路という距離と料金
  • 郵便局前で尋ねてきた
  • 本当に警察へ行ったのか

見ず知らずの方に姫路まで電車代を出すことが難しかったです。そのときお金を持っていなかったことも原因ですが、はっきり言えば、全く知らない人に2000円をポンと出すことに強い抵抗を感じました。「信頼関係」が成り立っていなければ、お金をかすことはできません。返ってくるかわからないので余計にそう思ったのです。


また、郵便局前で尋ねてくるのがどうもしっくりきません。こちらがお金を引き出すのを前提で話しかけてきているのだろうかと、疑心暗鬼になってしまいました。ただ、現金を引き出したあとに姿が見えなかったことから、自分の思い過ごしという可能性もあります。


本当に警察に相談して、追い返されたとしたらおばあさんへの対応に疑問が残ります。財布もなく「JRより阪急電車を利用した方が安い」と答えるのはあまりに冷たい。自分に時間と心の余裕があれば、もう一度警察署に連れて行ってあげればよかったですし、場合によっては協力するでしょう。


少し考えたのですが、身分を証明するものがなく突き返されたとすれば、それは日本社会の問題なのでは、と感じました。「福祉社会を目指して」や「福祉国家」をスローガンやマニフェストに掲げている政党を見かけますが、それはあくまでの最低限の生活ができている人、身元を証明できるものを持っている人に限られるのではないか。ホームレスが歩いていても、何日も同じ場所に居座っていても、私たちは彼らを助けることなく、むしろ排除しようと躍起になっています。「不法侵入禁止」「ここは私有地です。私物は置かないで下さい。」という看板を見かけることは多々あって、ホームレスの人たちは無言の圧力をかけられているのではないか。助けることもなく、施設を案内することもなく……。


もちろん、そのような人たちの生活を助けようとしている方は多くいて、ボランティアで炊き出しをしたり、簡易宿泊施設を提供している非営利団体もいるでしょう。しかし社会的弱者を排除する福祉国家、見てみぬふりをすることで彼らの存在そのものを消してしまおうとする私たち。首都東京の中心部である新宿西口は超高層ビルが建ち並び、都庁も構えています。すぐ隣りの中央公園にはたくさんのホームレスが生活しているという事実。確か『ホムンクルス』の初回にこのような話があったと記憶していますが、生活を支えるはずの行政の足下に貧困者がいて、公園を使う私たちは、その人たちを危険だとか汚いと言う。消化器爆弾の犠牲になることもあれば、そのレッテルから女児性犯罪の加害者とされたこともあります。また、集団リンチの標的になることもしばしばあります。


今回私が「お金をかしてください」と言われて、それに応えなかったのは複合的な理由からですが、少なくともこのようなことを考えるきっかけになりました。おばあさんが財布をなくしていた場合、大変申し訳ない対応をしてしまい、後悔だけが残りましたが、このような結果に陥らないよう、しっかり対話をすること、つまりコミュニケーション力をつけなければと実感しました。困っている人がいれば尚更のことです。