今週のお題 マイミュージックとしてのホフディラン

ぼくは中学1年時、学校の寮に入っていた。中学校は自宅から電車でおよそ1時間程度のところにあるのだが、学校の決まり上、1年時に必ず寮生活をしなければならない。中高一貫制度のため、中学1年生から高校3年生が寮で生活をしている。平日の外出、マンガ、テレビやゲームの持ち込みも不可(見つからないようにうまくやっている生徒はどこにでもいるのだが)のため、寮にいる時間は2階の広間で卓球をするか、音楽を聞くことくらいしかやることがないのである。



禁止の理由は不明だが、どういうわけか音楽を聞くことが許されていた。上級生は部屋にコンポを置き、大きめの音で好きな音楽をかける。ヘッドフォンやイヤーフォンで楽しまない理由は、「誰かに聞かせたい」という欲求からきているのかもしれない。先輩らは「良い音楽を知っているぜ」と部屋の住人に無言で語りかけてくるのだ。そのため、ぼくが音楽にのめり込むのに時間はかからなかった。部屋に転がっているタワーレコードのフリーペーパー「bounce」を読み漁り、良い音楽がかかっていたら「このアーティストは誰ですか?」と先輩に聞けばおしえてくれる。なかには「自分で探せ」と意地の悪いことを言う上級生もいたのだが。そのおかげで中3で出会っていたはずのティーンエイジ・ファンクラブが高2にずれてしまった。

Grand Prix

Grand Prix



話が飛んでしまったけれども、中学1年時はビートルズのアンソロジーが発売、ロックミュージックのルーツから入っていくには適していた年だった。夏休み中だったか、当時大流行していたスキャットマン・ジョンを買うか迷ったあげく、新星堂イーグルスのベスト盤を買った。購入の理由は2つあって、一つは名前が格好よかったということだ。「ドラゴン」や「ライオン」と言った野生の響きは純粋な中学1年生を信用させるには十分だった。2つ目の理由はお店で商品を探していたら、「再結成、来日迫る!」というポップがCDの前に飾られていたからだった。どうしても「洋楽」アーティストのCDが欲しくて、イーグルスはベスト盤18曲入りというフルボリュームだったので、お得感もあり、こちらに決めたのだ。

スキャットマンズ・ワールド

スキャットマンズ・ワールド

Very Best of

Very Best of


夏休みはこのアルバムを本当に聞き込んだ。イーグルスのベスト盤には「テイク・イット・イージー」、「ジェームス・ディーン」、「ホテル・カリフォルニア」と言った往年のロック・クラシックが散りばめられていて、それらの音はぼくの血となり、肉となった。ずっと好きなジャンルである「カントリー・ミュージック」を教えてくれたのもイーグルスであったし、後にザ・バーズ"ミスター・タンブリンマン"に衝撃を受ける下地をつくってくれたのも彼ら。そして、2006年に東京ドームでライブを見ることもできた。


音楽に目覚めた坊主は、中学1年終わりに寮を一旦抜け、通学生になる。しかし、寮生活が恋しくなり2年時の夏休み明けに戻ることになる。当時の高校3年生にはバンドで演奏している先輩がおり、大変仲良くさせてもらっていた。無理言って同じ部屋に入って、様々な音楽を教えてもらったのもよき思い出だ。ギターもこの頃に始めて、基本のコードを手ほどきしてもらい、最初に「スタンド・バイ・ミー」が弾けるようになった。


冬前に部屋の上級生がかけていた音楽、不思議な声が特徴だった。『キテレツ大百科』の「はじめてのチュウ」の様な声質で、最初はバリウムを使用しているのかと思っていたが、どうやら地声らしい。とてつもなくポップで、すぐに口ずさめる音楽。それでいてギター、ドラム、ベースがしっかり鳴っていて、ロックバンドとしても成立している。先輩が聞いていたのは「ホフディラン」。ユーモアのきいたバンド名も後押しして、ぼくは一瞬で彼らの虜になってしまった。

多摩川レコード

多摩川レコード


冬休みに入ってすぐ、彼らのCDを池袋タワーレコードで購入し、自宅のコンポで聞いた。もちろん気持ち大きめの音量で、上級生がぼくに自慢してきたように、弟に聞かせてやったのだ。弟の反応は寂しいものであったが、自己満足は終わる事なく、カセットテープにダビングして友達に配ったり、何回もライブに行き、ファンクラブにも入った。ホフディランのラジオ番組に、はがきを投稿して何度か読んでもらったこともある。フジテレビ系「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」の公開収録にも2回当選し、スタジオに足を運んだ。自分の後ろ姿がテレビに映ったときは舞い上がってしまった記憶がある。当時のラジオ、テレビはできる限り録音・録画し、自宅に保存している。


また、メンバーの一人であるボーカル&キーボード担当の小宮山雄飛さんが紹介してくれる音楽は、中学生のぼくにとって刺激的な世界だった。いわゆるパワーポップオルタナティブロックを知るきっかけとなり、音楽漬けの生活を更に加速させた。彼らのライブにもよく足を運んだ。ホフディランの客層は大学生、特に女子大生が多く、中学生で参加しているのは自分くらいだったように思う。中学男子が若い女性に囲まれてライブを見る。これまた刺激的な世界であった……。これは冗談として、バンドをやりたいと強く思うようになった。


高校生になると音楽の嗜好が変化したことも一因で、ホフディランはアルバム3枚目『ホフディラン』を聞いてから遠ざかってしまった。そして時間は刻々と過ぎ、彼らは活動休止を発表、ぼくの前から完全に姿を消してしまった。

ホフディラン

ホフディラン


高校生活では友達とバンドを結成、たくさんの曲をコピーし、ライブにも出演した。バンドで大きな音を「いち、にの、さん」で「バーン!」と出す瞬間は本当に感動的で、メンバーと心と音を共有していることを感じさせた。そのバンドは高校時のみの活動であったが、他メンバーは今でもバンドを続けていて、この春、新作アルバムをフリーダウンロードで発表、ツアーで京都を訪れるなど精力的に活動している。

silence in everywhere

silence in everywhere


ぼくはというと、大学を出てから音楽著作権を主な業務とするe-license、音楽配信サイトrecommuni(現ototoy)で働く機会を得ることになる。これも音楽にのめり込んでいなければ体験できなかった仕事であり、働くことを通して多くの人たちに巡り会えた。


そして、ふとしたきっかけで、職場の方から単発の仕事を紹介してもらった。ホフディラン小宮山雄飛さんが毎日PODCASTで配信しているトーク番組「こむぞう」の公開録音を手伝って欲しい、という仕事内容である。このときばかりは「この世は円環的構造で成り立っているんだ」と感じざるを得なかった。ホフディランは活動を再開、ぼくは10年の時を経て彼らと再会したのである。雄飛さんとはもちろん面識もなく、一方通行のファンであったが、音楽を聞き続けていれば、このような事も起こりえる、まさに奇跡としか言いようがなかった。


打ち合わせで原宿の事務所に伺うことになったので、サインをして頂こうと、ファーストアルバム「多摩川レコード」やファンクラブの会員証などを持っていった。これがそのとき頂いたサイン。


打ち合わせに行ったものの、事務所に到着したIKEAのソファベッドを組み立てることに。これも雄飛さんらしく、ぼくは喜んで手伝い、まさに至福の一時となった。イベントも大変盛り上がり、雄飛さんが多くのファンを大切にしている印象を受けたし、音楽の力を通して世の中を面白くしていこうという姿勢は自分を勇気づけてくれた。終了後に雄飛さんから事務所である「genius at work」とMOLESKINEのコラボレーション手帳、ホフディランオリジナルドローイングノートもいただいた。これは今でも大切に使っている。


この経験はフリーペーパーやイベント、ウェブサイトを運営するきっかけにもなっている。青春時代に様々なアーティストを教えてくれたホフディラン。ぼくは音楽からインスピレーションを受けて、今日も生きている。